2013.10.01
青葉通信 10月号 巻頭言
事業所長 武者明彦
先月末から急に秋らしくなってきました。気が付くと庭先や線路わきの土手には真っ赤な彼岸花がひと塊にまとまって咲いています。楽しかった青葉祭も無事に終わり、一区切りがついたような感じです。
さて、今月の巻頭言はお休みさせていただき、9月に岩手県陸前高田市への支援活動を終えて帰った高村さんの報告を掲載させていただきます。被災地の今の様子が目に浮かぶようなとても印象的な報告です。
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8月31日~9月8日の9日間、生活支援員として現地で活動を行いました。
この支援活動は、日本障害者フォーラム(JDF)が各施設団体に人員派遣を募り、被災地の障がい者、高齢者、児童の通学・通園、通院を中心に移動や同行支援を行う活動です。
現地での様子をお伝えすると、午前6時30分に宮城県気仙沼市の宿舎を車で出発。30分程かけて約20㎞先の岩手県陸前高田市のセンターに向かいます。到着後、洗車、スタッフ(3人)とミーティングを行い、7時45分に担当の送迎場所に出発します。
担当する支援は、市内の幼稚園、25㎞離れた大船渡市にある特別支援学校、市内の中学校の送迎が中心で、合間に市内や大船渡の病院への送迎が入ったりします。全てを終えてセンターに戻ると午後5時頃になります。簡単な報告書を書き、明日の打ち合わせをして、気仙沼の宿舎に帰るという感じです。1日の走行距離は、おおよそ150㎞ぐらいになります。活動が2年目に入ったということもあり、固定の利用者も増え、予定表のボードは予約で埋まっていました。
市内は被災した建物の多くが解体され広大な更地が広がっています。一部地域には、まだ瓦礫の山が残っており、不燃系・可燃系などというように選別作業を行い粉砕機にかけ瓦礫を細かくする作業を行っていました。現地スタッフの話では、重機や大型ダンプが増え復興工事が始まったと感じたのは今年の4月からで、私が訪れた時も高台に災害公営住宅を建設するため、山を切り崩し、平らな地面を作っている現場や土砂を運ぶ大型ダンプが数十台も列をなし、砂ぼこりを上げ市内を往来する姿が印象的でした。また市内の幹線道路にはJRのバスの姿も見かけ、交通手段も少しずつ改善されています。
送迎中に話しかけてくださる方も多く、岩手なまりの言葉に心が和み、世間話をしている間に目的地に到着することもありました。しかし一方で「震災がまだ信じられなくて・・何か夢の中にいるような感じで・・」と気持ちが取り残され、不安を抱えながら生活を送っている方も現実としていらっしゃいます。この生活支援の活動は今年度で終わるとのことですが、今後、今の支援体制を陸前高田市に移管し、より地域のニーズにあった形にするための施策を、現在、市と現地スタッフが協議しています。
震災から2年半が経過しました。震災前は、名前すら知らなかった陸前高田市でしたが、この支援活動を通じて、私にとっては東北地方で一番身近な場所となりました。復興事業がやっと動き出したばかりで、まだまだ長い時間が必要ですが、忘れることなく、これからも気にかけていきたいと思います。 (営業課情報処理室 高村良介)