コロニー東村山

敷地内の奥の奥…

 
「Oさんの野菜実験場(仮)」に関する極秘?情報を先日キャッチしました。とある筋からの話によると、Oさん(実験場長)がコロニーファームから少し離れた場所に、野菜を植える計画を立てているらしいのです。

「まさか、春菊を植える気ではッ!」


という危機感のもと、とりあえず自分の目で確認をするため、情報の場所へ行ってみました。コロニー東村山の敷地内の、かなり奥まった所にその場所はありましたが、とりあえず今はなにも植えられていません。いったい何を植えるんだろう…

もう仕事が手につかなくなるくらい気になって仕方が無いので、直接Oさんに聞いてみたところ、あの場所にはミョウガを植える計画で、名称は「Oさんの茗荷谷(ミョウガダニ)(仮)」とのことでした。ミョウガは良いですよね!

Oさん、収穫できたら、ぜひ素麺や冷奴の薬味に使わせてください!!
ん、でもミョウガって食べると物忘れがひどくなるなんて話も聞きますが…


第5話 前世は、やっぱりトドに違いない

 
私は、水遊びが大好きである。夏はプール、冬は寒いので温泉となる。泳がず、ただ水に浮くのが心地良い。

ハーレムには程遠いが、1対3の女強家族。ミニハーレムを作って回遊している。

最近のお気に入りは、サマーランドだ。あの流れるプールで、黒潮を思い、人工波で野生のカンを取り戻す。北は常磐ハワイアンズ、南は箱根ユネッサンまで、守備広く流れている。

リラックスするには、必ず浮き輪二本が必要となる。胴体と足に一本づつ装着する。全身の力を抜き水と戯れる ああ幸せ…。

浮力の恩恵で軽やかな動きは、水生動物ならではのもの。私の有り余る脂肪も、無駄ではなかった。この頃、海から上がった仲間達の不自由な気持ちが理解できる体重になってしまった。

水族館の仲間と目が合ったときのあの安心感は、なんだったのだろうか?

来世も、やっぱりトドに違いない。

(H.O.)

なぞのドア

 
東京ビッグサイト内のとあるレストランに入った時に発見した「なぞのドア」。

エスカレーターを使用して登らなければ入れないレストランだったのですが、エレベーターを使いお店のバックヤード側から回っていけば入れることを教えてもらったので、行ってみると……

エレベーターを降りてレストランに向かう途中にあった、警戒中と書かれた幅の狭いこのドア。なんだか通常より高い位置にある気が……いや絶対高い。

どの様な目的で、どんな人が使うんだろうか。そしてなぜこんなにも高い位置にあるのか。このドアを使用しているビジョンがまったく想像できなかったドアなのでした。


第4話 やっと活躍する場が♪

 
運動を始めようかと思い、何着かジャージを購入しましたが…

購入しただけで満足してしまい運動を始めるどころか全然着る機会もなく、いつの間にかタンスの肥やしになっていました。衣替えをするたびに「そろそろ着ないとなぁ…」と思っていたそんな時、Tボール大会に参加することになりました。

ジャージを着る日がキター!!


引き出しから引っ張り出し「どれにしようかな~♪」と鏡の前へ。当日身体が動くかどうかなんてすっかり忘れ、ジャージ選びを楽しんでしまいました。

思っていたとおり試合では全然貢献できることもなく終わってしまいましたが、ジャージはやっと活躍させることが出来て私の中ではちょっぴり満足でした。

(T.N.)

ヒゲのなぞ

 
「コロニー東村山」では、なぜかヒゲが流行っているらしい。

様々な部署の色々な人達がヒゲ顔だったりします。その形態も、ちょびヒゲ、マリオなヒゲ、もじゃ×2などなど、バラエティー豊かです。

  

元某営業課長など、無精ヒゲでダンディを気取っていたようだし。かくいう私も、剃るのが面倒臭い時は一日だけ無精髭スタイルになったりします。

えッ 私とは誰かって?
怒られるから匿名にしておきます…

●SPECIAL THANKS●
O画伯(記事内イラスト)


第3話 藤子アニメに勇気をもらって

 
3月21日、それはあの東日本大震災から10日後の月曜日であり、私にとっては長野県から埼玉県に引っ越してから1年経った日でした。私の住んでいる地域の計画停電が実施されていたらこのアニメと出会えませんでした。

藤子・F・不二雄先生原作の
マニアしか知らないアニメ「モジャ公」です。


とある事情でモジャラン星から地球にやって来た、がらっパチのモジャ公と、相棒のロボットでトボけた性格のドンモが、「SF(すこしフシギ)クラブ」の天野空夫君と河野みきちゃんと共に、数々の惑星へ大冒険する物語です。途中からモジャ公の兄弟、しっかり者の妹モジャリちゃんや、メカの才能がピカ一の弟モジャル君、さらにはライバルの忍者モモンジャも登場します!

そんな彼らの活躍を初回から毎週録画して見ている私。実はモジャ公のアニメが放送されたのは1995年(当時私が3歳でした♡)。その当時の雑誌での応募者全員サービスだった「人気アニメOPビデオ」の中に収録されていたのが、初代OP「CHU-CHU-CHU」だったんですよ♪

ただ…まだ3歳だったからキャラの名前も知らなくて…。やっと最近モジャ公の本名(モジャラ・ハナモゲラ・サナダビントニクス・フランサスカッチ・リトルフッド・ビクニン・アレキサンドロポニック・コニックタランペリー・クチュクチュ・スッパピッピー・パイポッポー公爵)も覚えられました。

モジャ公達の活躍を見ているとこっちまで元気になると言うか勇気がわいてくるし…主題歌4曲はipodに入れてヘビロテになってるしで…私的に大ブームなんです★ 今まで見て来たエピソードの中で特に好きな話は、モジャ公がトラヤンから買った薬でたくさんに分裂してしまった「11人のモジャ公」と、ゴンスケコンピューターが過去の記憶を思い出して大暴走する「ゴンスケの野望」です!

とにかく面白いんで、ぜひ見て下さい!

(H.K.)

37年間お疲れ様でした

 
2011年12月20日付 37年の長きにわたってコロニー印刷で活躍された安部さんが退職されます。お疲れ様でした。ちょっとインタビューしてみました。

Q:コロニーに入ったきっかけは?
ろう学校を卒業して上京し就職しましたが、仕事の環境に合わず転々と5年ほど過ごしました。ある時、障害者関係の大会がありました。そこで調さん(元東京コロニー理事長)の舞台挨拶を聴き、大変感動しました(結核回復者たちが社会に出ても働けず、自分の手で開拓していくという趣旨)。その後、コロニー印刷の求人広告が新聞に載っていたのを見て応募しました。あの頃東京では手話通訳者派遣事業が出来たばかりで、初めて通訳者を同行しました。

Q:コロニーに入ってから困ったことは?
職場の中で手話のできる人はいませんでしたが、私が入った後手話サークルができ、周りの人が徐々に覚えていってくれましたので、それほど困りませんでした。仕事のコミュニケーションは筆談でやってきましたが、時に通じない場面もありました。

Q:楽しかったこと、よかったことは?
仕事は印刷をずっとやってきました。最初機械の操作を覚えるとき、普通は音で聞き分けるところをそれができなかったので、トラブルが起きないように調整を充分やるように心がけました。注意しても2枚通しされ白紙が混ざってしまい、お客様に怒られたこともありました。当時工場長がろう者のために「印刷知識」の講習会を開き、トラブルの原因が機械だけでなく、紙の質や部屋の湿度、版、製本の知識の理解が必要だと説明してくれました。とても勉強になりました。情報不足のひとつとも言えますね。中野工場、東村山工場にも周りの人から音に関していつも助けていただき、感謝しています。中野工場で手話サークルを始めたわけですが、普段の勉強会、終わった後の飲み会、夏のキャンプ、冬のクリスマス会など楽しかった思い出です。

Q:今、障害者運動で力を入れていることは?
障害者の権利条約が国連で採択されたが、日本はまだ批准していません。運動を進めることが必要ですまた、聴覚障害者を含め、どんな障害者に対しても情報を保障する「情報・コミュニケーション法」(仮)の制定を実現したいと思います。3.11の震災のような大きな災害の様子や交通機関の情報が分からず苦労しました。普段の生活の中でも、コロニーの避難訓練の予定が聞かされてなかったことや、大切な話の連絡がなかったこともありました。これからも聴覚障害者に対して情報提供などのご配慮をお願いします。

Q:ありがとうございました。コロニー退職後も、ぜひご活躍下さい。
AB:こちらこそ、ありがとうございました。              

(聞き手:星)

新年明けまして、
おめでとうございます。

 
さて昨年は本当に大変な年でしたが、皆さんにとってはどんな年だったでしょうか。

ちなみに、2011年の「今年の一文字」は『絆』でした。未曽有の大震災を経験した後、人と人との絆、地域と地域の絆、「ともだち作戦」に象徴される国境を越えた絆、さまざまなレベルで絆の大切さが語られ、そして実行されました。絆は手を結びあう相手を探すための行動から生まれます。被災地や避難場所には多くのボランティアが入り、現地の人と手を取り合って大きな力を発揮しました。東京コロニーからも、物資や支援金を送るなどの物的支援をいち早く行うとともに、各事業所から多くの従業員が現地に入り、物心両面の支援を行いました。2010年12月に「伊達直人」を名乗る正体不明の人物から、群馬県の児童相談所へランドセル10個が送られたことを皮切りに「タイガーマスク運動」が連鎖的に始まりましたが、これも誰かのために何かできることをしたいという気持を行動に移す、絆を求める運動だったのかもしれません。

読売新聞が年末に行った「読者が選ぶ10大ニュース」を見てみると、国内編では(1)東日本大震災、死者・不明者約2万人、(2)サッカー「なでしこジャパン」世界一、(3)福島第一原発事故で深刻な被害、(4)大相撲で八百長発覚、春場所中止に、(5)新首相に野田佳彦氏、(6)スカイツリー「世界一」634メートルに到達、(7)大型台風上陸相次ぎ記録的被害、(8)大阪ダブル選、「都構想」で共闘の橋本氏が大阪市長、松井氏が府知事に初当選、(9)テレビ放送が地デジに移行、(10)節電の夏、37年ぶり1都8県で計画停電実施。国外編では(1)タイで洪水被害、日系企業も大打撃、(2)ウサマ・ビンラーディン殺害、(3)チュニジアで長期独裁政権が崩壊、エジプト、リビアにも「アラブの春」、(4)ニュージーランド地震で日本人28人を含む180人以上死亡、(5)ユーロ危機深刻化、欧州各国に波及、(6)中国高速鉄道で追突事故、40人死亡、(7)米アップル社のスティーブ・ジョブズ会長が死去、(8)世界人口が70億人突破、(9)中国が日本を抜き世界第2の経済大国に、(10)英ウィリアム王子が結婚、でした。甚大な自然災害と対応の遅れから生じた人災、そして政治経済の停滞と追い詰められた人々の反乱、世界のあちこちが揺れ動き、傷ついた1年でした。

そんな中で、なでしこジャパンの活躍は私たちに勇気と感動を与えてくれました。近年日本の女性の活躍には目を見張るものがあり、常々思っていることですが、どうもこれからの日本は、あらゆる場面を女性が牽引するようになるような気がします(我が家ではとっくに女性が牽引しています)。2012年の今年は辰年、私も5回目の年男です。気合を入れて、なでしこたちの向こうを張って、公私ともにもうひと踏ん張りする覚悟です。

2012年が皆様にとって良い年になりますよう。今年もよろしくお願い申し上げます。

(事業所長 武者)

大掃除 ああ大掃除 大掃除 & 御礼

 
コロニー東村山では明日(29日)より年末年始休業となります。よって本日の午後は年末恒例の大掃除タイムでありますッ! カーテンの洗濯や、蛍光灯を拭いたりと、普段の17時25分より5分間の掃除タイムではやりきれない部分を徹底的に掃除し倒します。なぜこんなにホコリが溜まるのか、どうしたらこんなに汚れるのか、と絶句してしまう所もたくさんありますが、これこそ大掃除の醍醐味!…でしょうか?

  
  
  

キレイな職場は気分が良いですよね! さぁこのキレイな状態をキープして、2012年もはりきって行きましょー!

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ゆるゆる、ぐだぐだ時々真面目な「コロニー東村山」ブログも、2011年はこの記事で最後となります。様々な記事を書いてくれた方々、当ブログを見に来ていただいた方々、本当にありがとうございます。来年もやんわりと更新していきたいと思っていますので、ぜひぜひ見に来てくださいね!

最後に当事業所長より

見えない壁に阻まれた迷路

 

こんな感じだったと思います(写真は秋津駅の階段)。

コロニー東村山ブログの11月25日の記事でも紹介しております「第23回アートビリティ大賞」授賞式、私もスタッフの一人として行ってまいりました。授賞式終了後は受賞作家展へも顔を出し、原画の生の魅力に触れ、作家さんの楽しいお話も聞くことができました。詳細については先の記事にも触れられていますし、アートビリティのブログ(ブログビリティ)でもご紹介しておりますのでそちらに譲り、ここでは数年前の授賞式・作家展の折に印象に残った出来事、その顛末をご紹介します。

その年の受賞作家展の柴山画廊からの帰路、銀座から同じ方面へ帰るSさん、Nさんと三人で徒歩で有楽町駅へ向かいました。電動車いすを使用しているSさんにとっては乗り換えが少ないほうが楽だろうと、地下鉄有楽町線の有楽町駅から西武池袋線に乗り入れる電車での乗り換えのないルートで帰ろうと考えたのです。たしか駅前のビックカメラの地下で駅に繋がっていたはずとの記憶を頼りに、店内から地下へエレベーターで降り駅へ向かいます――が、そこにとんでもないものが姿を現しました。

店舗と駅の間に、階段があったのです。ほんの数段です(たしか3~5段くらい)。Sさん、Nさん、私の記憶がテキトーでした。ごめん!

しかし電動車椅子でそこから降りるのは段数の問題ではありません。Sさんが使用している電動車椅子を担ぎ上げて階段を降ろすには二人じゃムリ!

駅が視界に入るところにいながらそこから逆戻りです。エレベーターのある改札へ至るまで有楽町駅の周辺をほぼ一周。駅周辺の地下街を通っては、階段やわずかな段差に行く手を阻まれ(途中東京国際フォーラムの地下でトイレ休憩)、……結局、約一時間を要してようやくホームに降りました。Sさん、Nさん、お疲れ様でした。

地下鉄・地下街を含むインフラが古くから多く、複雑な都心部ではこうした段差が意外と多いことに気づきました。歩ける自分が一人で通るときにはその存在をまったく気にも留めず記憶にも残らない「わずか数段」。それが、車椅子を使用している人にとっては行き止まりと同じ。細かい所に目を配れば都心部のみならず多くの場所にそれは潜んでいます。例えばエレベーターが動かないだけで、車椅子を使用している人たちは一人で自分がいるフロアからすら動くことができません。彼ら・彼女らはそんな潜在的な不安に常に囲まれています。

思い返せば3月11日の地震の当日、多くの人が帰宅困難に陥りました。中でも車椅子を使用している人たちはより一層です。自宅マンションのエレベーターが動かないから帰れないと言っていた人。鉄道が運行再開したあとでも駅のエレベーターが動いていないことを知って電車で帰ることを断念した人。よく知っていたはずの道筋すら、見えない壁に阻まれた迷路のようにその姿を変えてしまう。地震の折、先に述べた数年前の作家展からの帰路の顛末を思い出し、そうしたことに改めて気づかされました。