新年あけましておめでとうございます。
新しい年を迎えるこの時期は、毎年今年度の事業結果を気に病む時期でもあり「こころ穏やかに新年を・・・・」とはいかないことも本音です。何とか結果が出せるよう残り3カ月全従業員、利用者の先頭に立ち奮闘したいと思います。
平成もあと1年4カ月で終了と決まりました。最近「昭和最後の秋のこと」なる歌をカラオケで覚えました。タイトルのとおり30年前の歌です。貧しさから出発し、誰もが自分なりの幸せを見つけてきた昭和という時代がまさに終わろうとした市井の人を歌った歌です。「平成最後の春のこと」というタイトルの歌ができるとしたら、共通するどんな気持ちを込めるのでしょうか・・・・
閑話休題・・・
厚生労働省は平成30年度障害福祉サービス等報酬改訂を進めてきましたが、昨年12月18日改定率+0.47%が示されました。また心配していた食事提供加算の継続も決定しました。この間改定検討チームの動きに合わせ、障害者団体が団結して国会議員会館での緊急集会をおこなったり、緊急要望書を集めたりと、障害種別を超え党派を超えた活動により、与野党の国会議員へ大きな影響を与え、報酬水準を下げたり加算の廃止をしたりしてはただでは済まないと思わせるに至った結果と思われます。
こうした国の予算は、当事業所の来年度の予算にも直結する話で、コロニー東村山も微力ながら集会への動員に参加したり、所長名で緊急要望書をJD経由で加藤厚生労働大臣あてに送ったりとその一端を担えたかなぁとほっとしております。
障害者運動の結果が政策や予算に影響することを目の当たりにするにつけ、調一興元理事長が「障害者の問題はもっと政治問題化しないとだめだ」と口癖のようにおっしゃっていたことや、費用徴収制度が導入されようとしたとき、障害者団体の代表の一人として厚生省(当時)と直接向き合って交渉にあたっていた勝又前理事長に、厚生省の入っている合同庁舎を全国から集まった障害者とともに包囲した一人として声援のメールを送ったことを思い出します。
そうした思いをわたしはどれだけ一緒に働く仲間に伝えられているのだろうと反省しきりです。
閑話休題Part2
東村山市内にある白十字ホーム(老人ホーム)は、昨年開園50周年を迎えました。私は残念ながら所要により式典を欠席させていただきましたが、後日その周年事業で制作された記念誌を頂戴しました。その記念誌の扉に白十字ホーム初代園長の野村実医師の『園報「途上」創刊によせて(1979年4月)』と題した文章が掲載されていました。そこには「社会福祉事業のその法規も、その制度や運営にあたると多くの欠陥があることは誰しも気づいています。それは国の財政事情によることでしょうか、そうは言わせません。それを政治の貧困と言ってしまえば話はおしまいですが、貧困とは福祉への理解の貧しさです。」と38年前、御年78歳の弁です。38年後の今日の政治に理解はありやなしや。
野村先生は、1959年より1987年まで東京コロニーの理事長として活躍された方で、私にとっても忘れられない方の一人です。ご紹介させていただきました。
ともあれ、本年もよろしくお願いいたします。
駄文完読感謝です。
(所長 星 忍)
閑話休題 (番外編)
「いのちのバトンのお話し。」だれかの、だれかの、だれかの私。
このタイトルの小冊子は、前述した東村山市内の白十字ホームで働いている方が、ホームと近隣の小学校との交流(里孫交流)のなかで、こどもたちに話をする機会があり、その時の内容をまとめたものです。
私は、これを読み終えたとき、こころがほっこりした気持ちになりましたので、番外編でご紹介します(お疲れでなければお付き合いください)。
これから長い人生が始まる小学生に、高齢者の「死」と向い合せにしているホームで働いている方がどんな話をしてあげたのだろうか。
だれもが迎える人生の終わり。それは悲しいことに違いはないけれど、避けられないこと。こどもたちに向かいあい、「みなさんひとり一人が、だれかの、だれかの、だれかの私。」って考えてみてください、と語りかけました。おじいさんの孫である私、おかあさんのこどもである私。親友で大好きな○○さんと私・・・。
毎日の家庭や学校や、いろいろな生活の中で、いろんな人とつながっている。いっしょにいるだけで幸せだったり、悲しいときはげましてくれたり、時間も忘れて暗くなるまで友だちと遊んだり、おいしいご飯を作ってくれたり・・・・。
それは、つながっている人たちひとり一人のいのちそのものだと。
ホームにいるおじいさんおばあさんは、そうしたいのちを生き抜いて、次にいのちのバトンを渡していこうとしているのです。いのちのバトンを引き継ぎ、次の人に渡していくには、バトンを大事にしなければなりません。自分のバトンだけでなく、他の人がもっているバトンも大切にしてあげなければ簡単に引継げません。みんながもっているバトンを、みんなが大切にしあいながら次につないでいってほしい。
そうしてつないだバトンの最期だからこそ、悲しいけれど、拍手をしてあげたいのだと思います。
話を聞いたこどもたちは、みんながいのちのバトンをもって走っている自分を想像できたことと思います。そして「生き抜いてこそ次に渡せるたいせつなバトンなんだ」と、次にわたす誰かを探し始めたことと思います。
(ほし)